般若心経

般若心経の解釈

僕は小林正観さんが好きです。生きる上で一つの指標にしています。まだまだ実践できてない部分が多いですが。

その正観さんが著書『釈迦の教えは感謝だった』の中で般若心経について解説しています。般若心経はいろんな方が訳されていますが、僕にとっては正観さんの訳がわかりやすく、しっくりきました。

僕なりの解釈では、空とはニュートラルな状態、なんにもバイアスがかかってなく、どんな色眼鏡もフィルターも通して見ていない状態。色とは自分を通して見て、感じているもの。

コップに入った半分の水というよくある例えでいうと、半分の水があるという事実、は空。半分しか入っていないと思ってみている状態が色。

般若心経の中では、無という言葉も出てきますが、空と無を一緒の似たような意味でとらえるのではなくて、空とはニュートラルな状態で、無とは文字通り無いと正観さんはとらえています。

色と空は一緒、空と色は一緒、なので色は空であり、空は色である。なので、受、想、行、識も無い、眼耳鼻舌意も無い、何も無いと続いていきます。

苦についての解釈ですが、正観さんは思いどおりにならないこと、としています。そして、すべてが空であるのだから、思い通りにしようとせずに受け入れる。さらに、受け入れることの最高の形態は感謝であるとしています。

なんだかうまく伝えられた気がしないので、興味のある方はご一読ください。

空を空として感じる

ところで、僕たちは、親、学校、社会、テレビ、ネットなどの影響を受け、もっと言うと洗脳されて物事を判断し、評価し、裁いています。

しかし、本当はすべてが空であるという視点で物事をありのままに見ようと試みると、少し違った捉え方ができるかもしれません。

なかなか難しいチャレンジですが、洗脳されたフィルターのその向こうへ顔を出してニュートラルな世界を見ていたいと思います。

余談ですが、しあわせの青い猫の顔の周りについている四角いモノ。これは親、学校、社会、テレビ、ネットによってつくられたフィルター、バイアス、色眼鏡、洗脳された思い込みをシンボライズしたものです。

このフィルターを突き破って物事を見ているしあわせの青い猫、あるいはそうでありたいと思う自分、いろんなことを想像しながら描いています。

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