がんと闘う

がんと闘う

母親も肺がん、蒸発した父親も肺がんで十年ほど前に亡くしました。なので、僕はがんと闘うぞ!という記事、ではありません。その逆かもしれません。

近年の医療の進歩は目覚ましく、がんの早期発見や予防、罹患した後も副作用の少ない抗がん剤の投与など、がんに対する様々な技術が開発されています。

たまたま見たテレビ番組の特集でも最先端の技術でがんをやっつけてしまう医療法が紹介されていました。こんなに進んでいるんだと感心するばかり。

それはいいんですが、がん細胞は完全に悪者でした。あたりまえか。

少し立ち止まって考えてみます。がん細胞ができることによるメリットはないのでしょうか?そもそも、悪者なのでしょうか?がん細胞の存在する意味はないのでしょうか?答えは見つかりませんが、そんなことが気になりました。

それから、健康が、長生きがいいことなのでしょうか?命より健康が大事、というブラックジョークもありますが、メディアの健康志向に振り回されている気がしないでもありません。

何かと闘うことで解決できるのか

健康のためにがん細胞を敵とみなして徹底的に闘う。平和のために誰かを敵にして徹底的に戦う。

闘わなくても健康でいられる方法は?戦わなくても平和でいられる方法は?健康と平和を並べて考えるのは違うかもしれませんが、ふと連想してしまったのでゆるしてください。でも同じことなんじゃないかって思えてしまうんです。

しかし、もし自分の妻や子供ががんに罹患しているとしたらどうだろう。こんなことを言っていられるだろうか?近くにがんの治療をしている人が何人かいるが、こんなことを言えるだろうか。今、治療中の方やその家族の方はどんなふうにとらえるだろう。

では何が言いたいかというと、がん細胞に対して闘う姿勢で対峙するのではなくて、もっと心安らぐ向かい合い方はないだろうか?ということ。誰かを悪者にしたり、敵とみなしたりすることなしに。

平和を求めるためにミサイルを撃ち込む、静寂を得るために怒鳴る、健康になるために闘う、いづれも違和感ばかり感じますが、何が正解かまだわかりません。

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